日本インターナショナルダンス選手権大会のTV放送(録画)
6月に武道館で開催される日本インターナショナルダンス選手権大会は以前TV放送(NHK)されていましたが、
現在では放映されていません。
日本インターナショナルダンス選手権大会のTV放送(録画)
6月に武道館で開催される日本インターナショナルダンス選手権大会は以前TV放送(NHK)されていましたが、
現在では放映されていません。
1939年の大戦勃発後、1940年に非常に小規模な競技会は行われたものの1946年まで行われませんでした。
しかしながらダンスフェスティバル再開の際は当時非常に人気の高かったブリディッシュ アマチュア オールドタイムシークエンス チャンピオンシップも取り入れられ、華やかな大会となりました。
元祖のブラックプール ダンス フェスティバルも次第に成長し、1953年には
・イングランド北部アマチュア&プロフェッショナルチャンピオンシップ
・ボールルーム フォーメーションダンス コンペティション
・ブリディッシュ アマチュア&プロフェッショナル ボールルーム チャンピオンシップ
・プロフェッショナル エキシビジョン ダンス コンペティション
まで競技が増えました。
海外からの参加者も増加していきます。1930年代からデンマークとの交流は盛んでしたが、1950年代にはいると更に加速。
初期には外国人観光客用のボックスシートを南バルコニーに確保していましたが、1980年代に入るとあまりの多さに外国人向けにシートを特別に確保することが難しくなり廃止となりました。
ここ数年では50カ国ほどから席の予約が入るようになりました。日本、ドイツ、イタリア、米国などがメインとなっています。
その後1929年、ブラックプールダンスフェスティバルの復活が決定されます。
この時①北イングランドのプロフェッショナル&アマチュア チャンピオンシップと2ベレタワルツ(Veleta)コンペティション、③ベテラン部門のワルツコンペティションがもともとのシークエンスダンス競技に加わりました。
その後ダンスのスタイルは変化を遂げます。これまでのシークエンスダンスよりも、’イングリッシュスタイル’ダンスにより関心があつまります。
また、1931年にブリディッシュ プロフェッショナル&アマチュア ボールルーム チャンピオンシップが発足します。
この頃になるとアマチュアの競技会の為に40の地区で250もの予選会が開催され、そこでの優勝者のみがブラックプールで踊ることができるという状況になりました。
1937年には採点方法である’スケーティングシステム’が導入されました。これは今日のブラックプールだけでなく世界中で採用されている採点方式です。
当時はまだ近代的なボールルームダンススタイルであるイングリッシュスタイルや、ラテンアメリアダンススタイルは現れていませんでした。
当初のフェスティバルではワルツとツーステップ、フォックストロット3つのシークエンスダンス(全員で輪になって踊るスタイル)で構成されていました。
3日間毎日各種目の競技が開催され、4日目に勝者が選ばれシールド(紋章)が授与されました。
新しいスタイルのシークエンスダンスやカントリーダンス、モリスダンス(イギリスの民族舞踏)は1926年まで追加されました。ただしカントリーダンスは2年で競技からはずされました。
ウィンターガーデン社の経営方針の変更に伴い1927年に一旦ブラックプールダンスフェスティバルは廃止となりました。