1939年第二次世界大戦が始まるとダンスホールの閉鎖が相次ぎ、1945年終戦後も食べるのに一生懸命の一般の日本人にはダンスホールは無縁の存在でした。
一般庶民に社交ダンスが広まったのは、戦後になってからで、第二次世界大戦後は進駐軍向けにダンスホールが多数開かれました。
また、若い男女の出会いの場としてダンスパーティーが流行し、ジルバやマンボなどのアメリカンスタイルダンスが流行。
舶来のダンスに満足しない若者の間からは、ハマジルやカワジルと言った和製ダンスも生まれました。
また、これらアメリカンスタイルダンスの教習を併設する形で、インターナショナルスタイルの教室が増加。